「スケートの靴って、なんで変らないのかな」。
今でもはっきりと覚えている。あれは、大学3年の
春だった。大手電機メーカーに就職した2期上の先輩
が、会社の研修で研究職の方から、そう聞かれたのだ
という。
当時のスケート靴といえば、革靴に、刃の付いた金
具を鋲で打ち付けるのが定番だった。当然、まだ速く
なかった私には、何十年も変わってこなかった道具に
疑問などない。
だから、「なんで」と問われて、とっさに答は出な
かった。けれど、部のなかでスケートを滑ることだけ
は、優位な立場にあったから、何か答えないわけには
いかない。
苦し紛れに答えた。
「立石さん、だって靴じゃないですか。足の形は変ら
ないんだから、スケート靴だって滅多に変るもんじゃ
ない」。
みごとに後ろ向きだった。先輩やその会社の上司の
「問い」の意味を、まるで解っていない。ただ、そう
答えて、どうも筋が通らない気がした。そんな答では
自分すら説得できない。後味の悪さが残って、いつか
らともなく、その「問い」に対する、本当の答を探す
ようになった。
「もっと理に適った道具はないか」。
それから5年ほどたった1995年、アメリカの選手が、
カーボン製の靴を履く姿をみつけた。さらに1年して、
オランダの長距離選手が、踵の離れるスケートで滑る
姿を見た。「先を越されたかもしれない」と天を仰ぎ
つつも、頭を下げ、感触を尋ねた。カーボン製の靴は
ニューヨークへ、スラップスケートはアムステルダム
へ。どちらの時も、その足で買いに飛んだ。
あの問いかけのおかげで、道具が変る前に何年も考
えられた。だから道具が変っても、一つも困ることは
なかった。
2006年12月8日 苫小牧民報掲載 一部改