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西口は苦笑した 

第2話(ようやく...)
13日の西武VS巨人戦、凄いことがあったらしい。

痺れるような投球の連続、私のもっとも好きなゲームだ。
といっても、滅多に野球のテレビ中継は見ない。
年に数えるほどしか行かない飲み屋で、野球中継のチャンネルがついてない限り見ないからだ。だから、最近の野球談義には全くもって付き合えない。かといってスポーツヲタとして、空前のドラマがあった昨日のゲームを語らずにはいられない。

日刊スポーツの一面で西口は苦笑していた。

バットが西口の最後のボールをとらえてからスタンドに入るまで、彼はベンチの反応をみていたという。そして、あの苦笑。

四球ひとつの力投が、ノーヒットノーラン目前で潰えたのだ。しかも、西口自身にとって2度目のことだ。劇画の世界なら、ホームランの瞬間、膝のひとつもマウンドに落とすところだが、西口の反応はあっさりしたものだった。チームの負けに直結しなかったからなのか、野球の儚さを知っているのか、見事な潔さとしか言いようがない。

メディアで取り上げられる画は、涙を流すかそれに耐えているシーンが多い。涙の種類には大きく分けて2種類ある。一方は勝ったときの感動で涙腺が開放されるときで、もう一方は悔しくて泣いているように見える場合だ。

観る側の感情を揺り動かすからなのか。とかく、オリンピックなどでは、(`×´)丿ウザイ!!くらいにこのシーンが目に付く。私は、感動的な映画を手ぬぐいなしでは観られないほうだ。一人でDVDを観ても泣くし、たとえ隣に誰が座っていようとも涙はとめどなくあふれてくる。しかし、自分が競技で勝ったり負けたりしたときに泣いたことはない。本当の勝利の快感を知らないからかもしれない。目的のゲームで自己の設定どおりにことが運び、ドラマティックに勝ちをおさめたことがない。これが、前者について経験がないことの原因なのか。だから、表彰台の一番高いところに立ち天を仰いで、あふれる涙を昇華させんとする、勝者の姿には憧憬の念がある。

逆に、負けたときにも悔しいと思ったことがない。どちらかというと、勝ったヤツが凄い!と思うばかりで、自分の負けに対しては感情的になることがなかった。そればかりか、涙を流しながらの敗戦の弁は聞く気になれないし、テレビに映して欲しいとも思わない。

確かに、時間の限られた世界で、高校野球が代表的な例だが、仲間と築いてきたことの前途が絶たれたりすれば、一時の感傷から涙腺の決壊が起こるのかもしれない。しかし、そこには勝者への畏怖や敬意といったものは感じられない。自他共に認める、「自己チュー」の私がいうと可笑しく聞こえるかもしれないが、自己中心的だとしか言いようがない。しかも、まるで全てが終わったかのように泣き崩れては、「明日はないのか?」という疑問が沸いてきてならない。

どのような負け方であれ、負けの決まった瞬間、相手の凄さに見入ることがあるのではないか?次の瞬間も、悔しさより先に「相手の凄さはどこなのか」、といった疑問が起こるのが筋ではないのか。悔しさをバネにしてという言い回しをよく聞くが、それだけで本当に勝ちにつながるのか。悔しさを前面に出すことは、自己の甘さや力不足を棚上げしているような気がする。

西口の苦笑。

私的には、一番素敵なリアクションだ。
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[ 2005/05/15 02:02 ] スポーツ観戦の壺 | TB(0) | CM(0)

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